残土や廃棄物の投棄

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 昭和40(1965)年ごろから始まった山砂採取は、前述のように各地の山々を削り、その沿道には凄まじいダンプ公害を引き起こしました。

ところが平成2(1990)年ごろから、山砂の輸送とは逆の経路で、首都圏で発生する建設残土や産業廃棄物が、船で図1 、図3 の木更津港や袖ケ浦港へ運ばれてきて、そこからダンプカーで山砂採取の跡地や谷間などの「処分場」へ、大量に運び込まれるようになりました。あたかも「山砂のお返し」のようにです。

ところでビルを建てるときには、一般に建築物を壊すので建設廃材が発生し、次に敷地を深く掘るので、大量の建設「残土」が発生します。土木工事も同様です。また産業廃棄物とは、事業活動によって発生する各種の廃棄物で、「産廃」(さんぱい)と略すこともあります。

最近では、それらの減量やリサイクルがますます重要となっていますが(文献9,10)、それでも投棄する以外にない産業廃棄物が、図4 の右のように年間に2600万トンも発生しています。それらの捨て場所が地方、とりわけ千葉県のいたるところにある残土、または産廃「処分場」です。


写真13 「平成新山」の全景
市原市武士の「残土処分場」。手前に杉木立と電柱が。
右上は県・浄水場のビルの塔。
 
写真13 は平成3(1991)〜12(2000)年に市原市・武士地区(図3 の右上)に出現した建設残土の山で、地元では「平成新山」と呼ばれています。これは間口が600メートル、奥行き500メートル、高さ50メートルという巨大なもので、容積は約200万立方メートルと推定されます。右上の塔は「千葉県水道局・福増浄水場」のビルです。

これらを上空から見たのが写真14、15 です。右中央の千葉県・浄水場には、大きな浄水槽などが多数並んでいます。この浄水場は昭和63(1988)年に着工され、平成5(1993)年から一日に9万立方メートルの飲料水を県民に給水しています。千葉県が初めて県内に水源を求めた浄水場で、8ヘクタールの敷地に、オゾンと活性炭による最新鋭の浄水装置があるといわれます。

しかし、道路の向かいには、浄水場に匹敵する大きさの「平成新山」や、市原市の廃棄物処理工場、産業廃棄物の不法投棄現場、取水場などが密集しています。つまり千葉県民の飲料水の生産現場は,多数の廃棄物処分場で囲まれています。

ところが君津市・環境保全課によると、「首都圏で発生した『残土』の有害物質モニターを継続してきたところ、ほとんどの資料から何らかの有害物質の溶出が確認されている。なかにはPCBや未規制物質が混入したものや、通常の土壌に比べ2桁も3桁も高い重金属類を含有したものも認められた」そうです。

そして、「有効な社会制度もなく、監視測定がなされないから問題が表面化しない現況である」、と『君津市・公害のあらまし』(平成15年度版、151ページ)に報告しています。

写真14 「平成新山」と千葉県・福増浄水場
残土処分場は作業中とみられる。
その向かいには ビルと浄水槽などが隣接している。

(2007.12.4 無断転載禁止)

写真15 県・浄水場とその周辺
左は市原市・福増クリーンセンター。
浄水場の左奥は、写真16 の産業廃棄物・不法投棄現場

(2007.12.4 無断転載禁止)

写真16 県・浄水場に近い不法投棄現場
右の杉が枯れている。入口には、立入り禁止の掲示。(2002.2.9)

写真16 は県・浄水場の斜め向かいにある巨大な不法投棄現場です。この処分場については、その後に5人が逮捕され、98人が横浜地方検察庁に送検されました。当時は一般に、浪費とか大量廃棄が、いわば流行のようでした。しかし、これが大量生産、大量消費、大量廃棄が常態化していた高度成長期のころの結末です。

右の杉木立が、すでに枯れているのが注目されます。このような光景は銚子市などの現場でも見かけましたが、一般に不法投棄現場の周辺では、樹木や植物が枯れています。


写真17 屋敷内に投棄された産業廃棄物
見学者や電柱が小さく見える。遠方は上総アカデミアパークののホテル。 
(御簾納照雄さん提供)

写真17 は、木更津市の民家の屋敷内に積み上げられた産業廃棄物です。見学者や電柱から見て、高さは約22メートルで、5万立方メートルはあるといわれます。この現場は、「上総アカデミアパーク」の近くです。

写真18 市原市石塚の廃車処分場
渓谷に投棄された廃車でできた台地。
廃車とそれに被せる鉱滓の山が。右中は地下水で生活する集落。

写真18 は市原市石塚(図3 の右下)にある尾根道の両側の深い谷間に、無数の廃車が捨てられ、それを鉱滓(こうさい)などで覆土して出現した台地です。鉱滓とは鉱石を精錬するときに生じる不用物で、スラグともいわれます。この地方では道路に敷かれたり、処分場などで大量に見かけます。

地元からの知らせで訪れると、「来るのが一か月遅かったよ。尾根から両側の谷底まで、ものすごい量の廃車で埋まっていたのに」、と住民にいわれました。右の中央には、地下水で生活している集落が見えます。


写真19 山砂採取した穴への鉱滓の投棄
(残土・産廃問題ネットワーク・ちば提供)

写真19 は、山砂を採取した穴へ投棄中の鉱滓です。ここには数十メートルの山があったそうですが、山砂の採取で消え、さらに地下深く掘込んでいます。この現場は、やがて写真20 のように、地下に埋没してしまいました。
 写真20  鉱滓を投棄した穴のその後     
 中央に黒く見えるのは鉱滓
黄色は砂山。
正面の山はゴルフ場。右端に民家と残土山の一部が。

写真19 の穴には投棄が続き、その後は 写真20 のように、中央左の一帯に灰黒色の鉱滓が拡がり、その右に黄褐色の砂山が見えたりしていました。右端には民家の一部と、その向こうには灰色をした大きな残土山の一部が見えます。正面の斜面の辺りはゴルフ場です。これは市原市川在(図3の右上)の、ある時点での光景です。

このような投棄物はいずれも地下水に直結しているので、次世代における環境影響や健康影響が懸念されます。それらをできるだけ防止するために、厳密な環境測定などによる監視が重要です。なお、これらについては、拙著「山が消えた」(文献2にも詳述してあります。
上記以外にも、たとえば市原市・万田野のように、山砂採取場の跡地に平成14(2002)年当時で、すでに160万立方メ−トルの産業廃棄物を処分している現場がありますが、写真などの具体的な情報が得られていません。
楡井 久・教授は、「山砂採取場の跡地へ廃棄物を投棄することは、関東地下水盆(お盆の形をした地下水の流れ)の涵養域に汚染源をつくっていること」だといいます(文献8)。

また千葉県の調査(1995)では、一定規模以上の廃棄物処分場の投棄量は2850万立方メートルで、それ以外と不法投棄を合計すると、県土を覆い尽くす勢いだといいます(文献11。それから十数年がたっていますので、投棄量は倍増しているとみられます。
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